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理事長所信

スローガン

『未来ビジョンを描こう!』
~次世代の高崎のために~

基本理念

自分を認め、受け入れる事で「個人」を肯定し、他者を認め、
受け入れる事で「性質」を認識し、「個性」を持って未来を描く

基本方針

  • 1.高崎の未来と官民学連携事業の創造
  • 2.高崎に対する地域愛を育む
  • 3.高崎の共育に必要な地域づくり
  • 4.JAYCEEとしての未来を描く
  • 5.変化に対応できる柔軟かつ強固な地盤

所  信

はじめに

 私が中学生時代、休日は市街地へ繰り出す事が当たり前でした。
 市役所の展望フロアで待ち合わせ、スズラン前からさやもーるを抜け、中央銀座商店街のゲームセンターに寄り、古着屋を冷やかしながら慈光通りを抜けて高島屋、ビブレ、モントレーを巡る一日、目的が無くとも1日過ごせる場所、それが市街地でした。
 現在の市街地はどうでしょうか。コロナ禍という未曾有のパンデミックの影響はありますが、人通りが多いのは高崎駅から高島屋近辺までであり、連雀町の交差点まで来ると往来はまばらです。近年のデジタル化の急速な発展、郊外の大型施設の建設により、市街地に出向かなくとも自宅で、大型複合施設1箇所で満足な買い物が出来てしまいます。これからの高崎市街地には、私が歩いた目的地としての市街地ではなく、人が集まり活用出来る公園のような役割が必要であると考えます。
 新型コロナウイルスの蔓延、原油価格の高騰、ロシアのウクライナ侵攻により、世界経済及び日本経済の先行きが不透明な現状は、戦後の復興期程ではないにしろ、似通ったところがあるのではないでしょうか。1951年戦後の復興期に高崎の明るい未来のために立ち上がった先輩諸兄と同様に、様々な情勢に合わせた柔軟な運動を展開する事で、私達青年が市民の一条の光となるよう熱い情熱を持って行動しましょう。
 そのためにも私達青年は、それぞれが個性を持って未来を描く事が必要です。個人の特性を生かした未来を想い描き、その未来に向かって進む青年は、どのような困難にも立ち向かえる強い青年として市民を先導する運動を発信出来るはずです。
 個性というと幅広いですが、要は自分が誰に何を言われても曲げない芯があれば良いのです。まずは自分と向き合い、理想の自分と現実の自分の差異を認め、今の自分を受け入れる事で自己を肯定し、自己が確立されていれば他者との優劣があろうとも嘆く事無く他者を認め、受け入れる事で自己の特性や性格を認識出来るはずです。
 これから高崎市は更に変革を遂げていきます、高崎駅を中心に市街地には高層マンションの建設が増え、東口から高崎玉村インターチェンジへ向かう国道354号バイパスには産業が増えていきます。未来に暮らす子供達に、今を生きる私達青年に何が出来るかを共に考え、共に悩み、共に成功を分かち合い、共に明るい豊かな社会の実現を目指し、未来の高崎と高崎青年会議所を描いていきましょう。

 

経済 ~未来の市街地を描く~

 群馬音楽センターの建設の話をご存じでしょうか。戦後復興時の苦しい時代に、「子や孫の代まで考え平和な文化国家をつくろう」というビジョンを掲げ、時の市民もそれに共鳴し、市の予算で足りない建築費用を、市民自らが寄付によって補う事で建設されました。音楽ホールとしての役割は高崎芸術劇場に引き継ぎましたが、私にとって市街地の入口は未だに音楽センターであり、時の市民が建てた歴史ある建築物と建設時の想いを次代に引き継いで行く必要があります。
 駅前に大型商業施設が出来た事で、駅前の人通りは増えましたが、音楽センターやもてなし広場までの人通りは少なく思います。回遊性から経済の循環が生まれるように駅前で買い物した人達が休息や集まる場所として活用出来る公園の様な役割が必要だと考えます。活用の方法は、一個人、一団体ではなく官民学が連携して考える事で人の動きを捉え市街地の経済を回す一助とします。

 

地域 ~誇れる高崎と共育~

・地元に対する地域愛

 私は高崎という街が大好きです。東京に出てもいつか高崎に戻ると思っていました。観音様に見守られウォークラリーで走り回った観音山丘陵、1万5千発の花火があがる高崎まつり、交通の要所として発展してきた市街地、「音楽のあるまち高崎」として群馬交響楽団もあり、賑わいもありつつ少し離れれば長閑な雰囲気を味わえる高崎が大好きです。
 これは東京に出た事でより一層気づかされた部分でもあります。しかし、比較できる下地がなければ気づかない事だとも思います。子供達が、高崎には誇れる地域性や歴史、文化遺産がある事を学ぶ事で、進学や就職により県外で暮らしたとしても、将来高崎に戻るという選択をする一助となる地域愛を育みます。

・共育に必要な地域の仕組み

 私は現在、父親歴7年生になりました。子供が生まれた時から完璧な親なのだと思っていました。しかし、育児に関わる全てが未体験であり、予想外の子供の行動に悩み、頭ごなしに怒った事もあります。生まれた時から親ではなく、子供と一緒に成長して親になるのだと今は思います。
 高崎には子育てをする親を助力する仕組みが多く出来ています。子育てSOSサービスには想定していた利用件数以上の申込がありました。一方で子育てや家事経験があるヘルパーの人員不足等の問題もあります。核家族化、共働きが多くなった事で必要なサービスで画期的ではあると思いますが、一方で仕事と家事に追われ、親に余裕が無い事が見て取れます。私が子供の頃に比べ、町内会や近所付き合いが減り、近くに頼れる親族や知り合いが全くいない中で子育てをする事は本当に大変です。子育てSOSサービスの現場の声から現状を認識し、子育て中の親の余裕を取り戻せる地域の仕組みを模索します。

 

広報 ~内外それぞれに向けた広報~

 昨今、コロナ禍による現地開催での事業、事業後の懇親会の減少により、会員同士の交流も減少してしまっています。それを埋める物として対内向けの広報誌があげられます。その月にあった事業を欠席した会員に伝える事も1つの広報です。また、対外向け事業の広報先が対象者に対して適当かを見極め、ホームページやSNSへの文言についても気を配る必要があると思います。小さな積み重ねと試行錯誤により広く高崎青年会議所の知己を増やし、子供達が暮らす未来の高崎が豊かな社会となるよう会の活動を広く描いて行きましょう。

会員 ~過去から現在、そして魅力ある青年へ~

 私が入会した2014年からこれまで、高崎青年会議所の伝統を教え、理想の高崎を語る多くの先輩諸兄が卒業をされました。更に、コロナ禍によるオンラインでの会議や例会、懇親会の中止により、語り継がれてきたルールの薄れを感じます。高崎青年会議所は、創立から72年目を迎え、サケの稚魚放流事業や、森とオーケストラ、高崎まつりがどのような想いで創られたのか、懇親会の場での作法、理事会の作法等、先輩諸兄から語り継がれてきた物事が世情により伝えられなかったのではないかと考えます。青年会議所にはルールがあります。ルールを順守する事をやめた時、それは青年会議所という名の別の団体になってしまうでしょう。ここで改めて青年会議所のルールを全員で確認し、知識とし、魅力ある青年として未来の高崎青年会議所を描いて行きましょう。

 

会員拡大開発 ~会を支える会員の力~

 高崎青年会議所の運営が儘ならなくなる人数とは幾人でしょうか。2020年に算出した際には外部の要因を全て無い状態と仮定して、70人を切ると会の運営が儘ならないという結果でした。現在の会員数は段々と70人に近づいています。このままではこれまで行って来た事業が、通常の予算規模での開催が出来ないという未来が見えてきています。この現状に対し会員一丸となって会員拡大に取り組む必要があります。そのためには、各々の会員が入会を勧められるよう入会する事で得られるメリット・デメリットを正しく共通の認識として持ち、会員自身が入会して得たメリットによって自身の質を高めるビジョンを持ち、高崎青年会議所の未来を描いて行きましょう。

 

総務 ~会を守る番人たれ~

 会を支える上で必要なものは何でしょうか。私は強固な地盤であると思います。高崎青年会議所のルールから外れた事柄には、時に厳しい事も言わなければなりませんが、会を守るという意識を持って取り組んで欲しいと思います。石垣は違った石が組み合わさって強固な基礎となります。一人ひとり個性は違えども組み合わさる事でとても強固な地盤となる事が出来るのです。強固な地盤が高崎青年会議所を支え、次代の高崎青年会議所を支える一助となるはずです。

 

終わりに

 私は2014年の9月に仮入会し、高崎青年会議所の活動に初めて触れました。2015年会員委員会において多くの仲間が出来、目標とする先輩に出会い、青年会議所活動に邁進してきたつもりです。年数を重ね様々な修練を仲間との友情で乗り越え、奉仕を行う中で、先輩諸兄から言われた事がやっと腑に落ちる事が多々あります。これまで、辛いと思った事も辞めたいと思った事も何度もありますが、その都度、先輩や仲間、家族に支えて頂きました。支えてくれた人達に報いるためにも、奉仕・修練・友情のJC三信条を基に、持てる力の全てを用いてJC活動に取り組む所存であります。

 

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